自由とはみること

みなさんお元気ですか
ご無沙汰しています
最大10連休と言われる2024年のゴールデンウイークをどのようにお過ごしでしょうか
今日はおすすめの映画を御紹介させて頂きます

日本に今起きている事を伝えたドキュメンタリー映画「戦雲 いくさふむ」です
公式サイトはこちら

みなさんは題名を見てこの映画を既に知っているかのように反応する事でしょう
日本の南西諸島の美しい島々に起きている事を8年の月日を費やして毎日ニュースを伝えていた地方の元アナウンサーが監督、制作されたものです
もしかしたら映画の内容は私たちのほとんどが知らない事かもしれません

昨今言われ続けている地球環境の変化を心配している人も多いかと思いますが
その兆候はご存知の通り極に現れ始めます
南極や北極を調査するのはやがて我々に起こる現象を予測するためです
又都会では緩やかな変化を感じられない為に極地で調査をずっと行ってきたのです
そして、日本の見えざる変化を知るためには、同じように日本の極地で起きている変化を調査、知る事なのです
そういった事で日本の端、南西諸島において現れ始めている兆候を知る事は大切なのです

人類の苦しみからの解放という観点から私が興味を持つのはいつも、こういった種類の映画と鉢合わせた時に私たちの反応はどのようなものでしょうか?という事です
いつまでも忙しい私たち、自分の事で精一杯な私たちは、
「こういった事は重い、ハッピーじゃない、難しい、厄介だ、今じゃない、そんな元気はない、夢を見ていたい、大変だね、どうするのかね」といった具合で素通りしてしまうのではないでしょうか
結果として黙殺することになります
恐らく誰もがそうだと思います。
ですから当事者になった時に始めて「なんで今私に? まさか私にこんなひどい事が起こるのか?テレビでは見ていたがまさか私に!」と異口同音に言いうのです
私達は当事者になって初めていろいろな事を知るのです
又、当事者にならない限り知った気になっているだけなのです。
つまり本当は何も知らないのです
では一体何を知らないのでしょうか?

それはいざ事が起きた時の現実です
何かあった時に私達はどの程度サポートしてもらえるのか、助けてもらえるのか、株式会社であるメディアから伝え聞いています

有事の時、メディアから避難所の映像、炊き出しの映像、政府の会見、関係者の会見、保険や社会保障制度、災害支援制度、近所やボランティアの助け、人為的に選別されたそのような映像や単語が脳裏に焼き付けられ結果として、きっと国に助けてもらえると楽観的に信じているのです
はたして災害や戦争や環境被害、犯罪などの当事者になった人達はその様な考えを持ち続ける事が出来ているのでしょうか?

こんなに助けがないとは、こんな国に住んでいたとは、制度は名ばかりで内容は無きに等しい、結局政府は何もしてくれないばかりか、まるで政府が敵として見えてくる
十分に手を差し伸べない代わりに私腹を肥やしていたのか、
当事者は人災によりさらに孤独と絶望の中で耐え抜き復帰していかないといけない現実に晒される事になるのです
まさか政府がそこまでやらないよ、
そこまでひどい事は世間の目があるから出来ないよ、
と言っていられたのはいつまでだったのでしょうか?

悲惨な状況をいくら訴えても誰も見向きもしてくれません
ここで初めて黙殺される側になるのです
ヘルプを黙殺される気持ちはどんな気持ちでしょうか
不条理を訴えているのに黙殺される気持ちはどんな気持ちでしょうか

私たちの反応の無さがこの様な土壌をつくっています
その理由はあなたにとって、一瞬の出来事であり、見過ごす事は自然で何も悪い事でもないのですから、
しかし結果として無関心、無反応、黙殺状態になり
その状況を注意深く鑑みた権力者たちはお咎めもなく何も言われない事を良い事にやりたい放題になるのです

悪い事をしても知らん顔、噓をついても知らん顔、輪をかけて過半数議席が公正な立法機能停止状態です
なぜ議会制があるでしょうか?
なぜ選挙があるのでしょうか?
なぜ法律があるのでしょうか?
会社でも学校や政治でも自制心のない代表者、自浄作用のないグループが直ぐに虫のように湧いてきます
簡単に言えば大の大人は未熟です

でも本当に未熟なのでしょうか?
私達の生きている社会環境を観察すればどのような生き方をすれば最後まで生き延びられるのか?という問いに彼らなりの答えを示しているのです

この世はまるで、自ら穴を掘って深い穴の底から一斉に這い上がろうというサバイバルゲームのようです
事実上ここは苦しみの巣窟、地獄であり監獄なのかも知れません
劣悪な環境をつくり続け容認し続けている私達、
かつそこを生きる私達
これでは我先にと、押し合い、へし合いは必須です
どこを見てもそればかりで居続けた結果、当たり前、常識、これが社会だという具合です
狂ったレースから外れたら負け組と言われ見下されかわいそうな人として自覚します
これがこの世界の多数派です
多数派は、覚悟がない為にこの世界が観えていません
うすうす分かっていながら観ようとしません
私はあなたを責めていません、ただ知ってほしいのです
知った上でどうするのかはそれぞれであり、違ってて良いのです
エゴのマインドが低下すれば助け合いが生まれます
エゴのマインドが台頭すれば騙しあい、奪い合い、殺し合いです
これはわかりきっている事です

エゴな権力者、指導者にとって物言わぬ従順に忙しく働いてくれる事は彼らの望む最高の民でしょう

つまりカツカツな状態にさせます、あらゆる方法を使って冷静にものを考えられなくなる程働かせ、疲れさせ、忙しくさせ、心配や不安でいっぱいにさせ、ひとりひとりにもともとあるパワーを奪い「私は弱い」と信じ込ませることで従わせる事ができるのです
エゴに取り憑かれた権力者にとって、この状態が最も理想的な状態なのです
これって奴隷状態ですね、世界の歴史は語っています

やっと権力者になった者たちの興味は、今度はいかに権力を維持、拡大できるかです。
結果、泥棒が法律をつくるような事態がまかり通っているのです
映画でも採り上げられていますが若者有志の努力により予想を遥かに上回ったミサイル基地反対署名が集まりました、しかし行政はそれを無効にする法律を署名提出後に改定し無効にしたのです

能登半島地震で被災し工場と家が倒壊し莫大な財産を失った輪島塗の経営者兼職人さんが言いました
「多くのものを失ったが私達には技術がある基礎がある、だから絶望はない、この傷はきっといつか癒える、将来を思いながら今できる事を一日一日やってゆくだけです、片づけて掃除して立て直す」
その妻は言います。「命があるだけでありがたいと思う一方で、一生懸命ずっとやってきたのに全部なくなっちゃったという悔しさ悲しみもあります、気持ちは行ったり来たりです」そういいながら泣き崩れた。
他の職人さんも「自分の中に培った基礎があるという事が希望です、原動力です」といった
関西に避難生活をしながら仕事を続ける若い女性の漆塗り職人さんは「この仕事が大好きで、だれかが私たちの作った漆器で笑顔になる幸福になるのが好きです」といった
崩れたガレキの中から漆の入った容器をみつけ、開けて「うわー久しぶりこの匂い!」と言いながら嬉しそうに笑っていた職人の顔が印象的だった

この世で最も確かなものは外側ではなく私達の内側にあるのだと有事の際に教えてくれます
何もなくなった時、ずっと何かを信じてやってきた事がその人にはあり、それがあなたを支え、導くのだと教えられます
ほとんどの人は他者の幸福を思いながらどんな仕事もしています。

信用された立場を利用し人に噓をつき、自分に嘘をつき、人を誑かし、見られていない事を良い事に私腹を肥やす、そんな日常を送った人は全て無くした時に何を思うのでしょうか?
不幸な人と言わざるを得ません

私達の本質は肉体ではなく霊という無形の存在なのです
その様な種類の存在が幸福になるには何を思い、何を感じるか、が大切なのです

戦争を題材にしたような雰囲気の話題、記事や映像、などと対峙する時に既に起きている我々の内側の反応は、
無意識の重圧です
「私にそんな事言われても、私には何もできない、ポジティブだけを見続けよう」などというのです。
しかし多くの場合無理にネガティブを避けること自体が更なる苦しみなのです
子供の頃は、はだしのゲンや新聞雑誌などを図書館で読んで自然に戦争や犯罪、企業の環境汚染被害を見聞きしていました、
今となっては知らぬ間になぜこんな毛嫌いするようになってしまったのか?

それは罪悪感ではないでしょうか。
だとしたらあなたは自らいらないものを背負っています
あなたは悪くない。全ての罪悪を下ろしてください
それは実際、罪悪ではなく罪悪感なのです
つまりありはしないのです

そしてこの世界を目撃するという唯一出来る事をして下さい
全てはみることからはじまります
私の願いは、自由で在って下さい
Freedom is to see
何故なら自由とは観る事だからです

これは戦争、犯罪、災害の問題ではなくあなたの人生の問題なのです
あなたが信じている国家は、政府は、今何をしているのか?
そして、具体的にどのように人をだましているのか
国民にとって政府とは何だったのか?
という事がこの映画で少なからずわかるでしょう

そしてそれらを行う人を選んでるのは私たちなのです
あなたが選んだ人が何をしているのか
あなたは忙しく、落胆や無関心で投票に行かなかった結果、いつも決まって誰があなたの代表になっているのか
その多くの人が偉いと思っている人が何をしているのか

彼らのつぶさな手口をこの映画「戦雲 いくさふむ」は教えてくれているのです

日本の盾とされ、地獄の地上戦を経験し、戦後基地問題など不条理を黙殺され続け、苦しみ抜いた沖縄の八重山の人達のしなやかで知的な平和の訴え方がそこにはありました

全ての人が目覚め、しあわせでありますように

最後まで読んで頂きありがとうございます

予告映像はこちら
上映劇場の御案内はこちら

コメント一覧

  1. 戦雲、拝見しました。

    ここまでの事になっているのを知らずにいました。出来る行動を考えます。

    そして心では許しを実践し、平和の祈りを共にさせていただきます🕊

  2. 戦雲、見てきました。
    初めの方は、あの美しい南西諸島に、次々に建設される軍事施設の映像に苦しみを感じました。これは、見て初めて抱く感覚でした。映画にしてくれたから味わえました。
    昔よく通った沖縄に、今こんなにも自衛隊が溢れているとしたら、私は行ってあの景色を楽しめるのだろうかと思いました。
    それが、あそこに住む人々に突きつけられている日常でした。
    けれど、住民のお一人お一人は、しっかりとご自分の中にあるお気持ちに向き合っていらっしゃる、とも感じました。正直に。たった数千キロしか離れていないところに生きている私は、煙に巻かれたような情報の中で、自分に向き合うことも疎かになりながら、何となくの苦しみや息苦しさに流されていたと思います。
    知る、ことが私に目が覚めることに繋げてくれます。
    いい悪い、正しい間違い、という言葉では出会えないものに出会えた気がします。
    横山さんの仰る、エゴのマインドの低下。1人1人にそれが起きれば、この世界はもっと違う様相になるのではと、私も思いました。
    たまたま、その前に、阿波根昌鴻さんという沖縄伊江島の方の写真展を、丸木美術館に見に行きました。米と日本の政府と、両方から土地を奪われた農民の方々の記録です。
    阿波根さんは、米と戦うのではなく、愛で繋がろうとされてました。決して戦ってはいけないと。ただ、自分たちの土地をいきなり奪うのではなく、返してくださいと。そのお顔は崇高な穏やかさでした。
    丸木の原爆の図に、1人の女性の顔が目にとまりました。白く美しいその顔は、原爆の図の中で、瞬間のその魂の美しさを見せてくれてる気がしました。
    私は、エゴのマインドを活性化させていくのか、それとも見て知ってマインドを鎮めていくのか、今回タイミングが合ってそれを感じれたことが、有り難いです。
    横山さん、ありがとうございました。

  3. 戦争

    よく聞く言葉

    そこには、漠然としたイメージがある

    有り難いことに

    イメージしか ない?

    人類の歴史を、乱暴に見てみると

    ずーっと 戦争 している

    「それしか 知らないのかも 知れない  」

    深い悲しみ と

    罪悪感

    少し

    大人になった 気がした

    ちょっとだけ 自分を

    ゆるせた 気がした

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